グンター・トイブナー 『立憲性の断片――社会的立憲主義とグローバル化』

評者:キル・レイナート(Kyle Reinert)   ジャンル:憲法、人権


著者紹介:グンター・トイブナーは、トリノ国際大学教授(比較民法学及び法社会学)で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの元オットー・カーン・フロイト教授であり、現在、ゲーテ大学フランクフルトの「規範秩序」エクセレンス・クラスター首席研究員を務めている。トイブナーは、イタリア・フィレンツェの欧州大学院と、ブレーメンとフランクフルトの諸大学で教鞭をとり、バークレイ、アナーバー、スタンフォード、ライデン、トロント、ベルリン、マーストリヒトの各大学において客員教授を務めた。ルツェルン、ナポリ、トビリシ、マチェラータ、ルンドから名誉博士号を授与。

『立憲性の断片』は、政治的な組織のみならず社会的な機能をめぐり、隆盛しつつある立憲性についての探求である。インターナショナルな組織、マルチナショナルな関係、トランスナショナルなグループは、地球を横断しながらいっそう多大な役割を恒常的にはたし、また同時に恒常的により大きな関心事となっている。立憲性をめぐる元来の憲法理論や方法は、断片的なものに関する今日の諸問題を扱うのに端的に適してはおらず、トイブナーはこうした両方の事実を扱いつつ、世界規模での非国家的な立憲性をめぐる近代社会のグローバルな外観をよりよく探求している。こうした目標を追及すべく、トイブナーは、立憲性をめぐって隆盛しつつある断片的なものを受け入れ、かつそれに対応する手法にあって、トランス-およびマルチ-ナショナルな諸実体、諸組織に現前するインフォーマルな立憲性を探求し、支援し、最終的には制度化すべく、一つの実践としての社会的な立憲主義、立憲社会学を提案している。

トイブナーが警告するには、国民国家の諸憲法は、もはや近代世界を扱うのにふさわしくなく、彼は増大する複雑性、増大するトランスナショナルな諸組織に組み込まれている社会の諸機能をめぐって、隆盛しつつある断片的なものに照準している。トイブナーは、国民国家とグローバルな立憲性の理論について研究し、また権力、政治的、社会的な事柄に帰せられる、トランスナショナルな諸レジームを扱ううえで、それらの欠点をみいだすことにより、彼自身の立場を説明づけている。トイブナーは立憲性の断片というアイデアを、次のように説明する。国家の憲法制定権力においてだけでなく、ナショナルな、あるいはトランスナショナルな組織それ自体のうちにある、より小さく、より専門化された立憲的なものが、社会的でトランスナショナルな諸組織と諸問題をめぐる近代社会の複雑性と断片的なものを扱うのにもっとも適している。

立憲性の断片――要約

近代の憲法思想家や国家政策は、もはや社会のあらゆるセクターに対して、法提供者や立憲的な基盤としての役割をはたすことはできないのだろうか。近代世界は、憲法思想家が元来一度たりとも考えることがなかったような、幅広く多様な諸問題を生みだしてしまった。トイブナーが照準するのは、企業化した人権問題、自由貿易の名のもとでWTOが環境や健康を危険にさらしているという告発、および近年の関心事であるような、医療、科学、スポーツのなかの頽落である。諸国家は近代世界において主たる権力主体であり続けている。だが、それらは、諸組織と諸問題――社会の異なる諸機能領域に陥ってしまったもの――という隆盛しつつある断片的なものを扱うのに適してはいない。近代理論家は、近代世界の複雑性を扱うべく思想の新しい学派を提唱しているものの、これまでのところ、そうした議論は誤った諸問題に着目してしまっていたと、トイブナーは考えている。

トイブナーが説明するには、既存の学派は国民国家の憲法主義者とグローバルな立憲主義者という、もとより存在していたそのような主張を過度の焦点化してしまっていた。国民国家の思想家たちは、国民国家およびその憲法をめぐる正統性と権力に着目しており、国民国家の主権の外部にのみ、トランスナショナルな諸組織や諸立憲性をみいだそうとしている。(そこには)国家主権を侵害するものは何もみられない。他方の極には、グローバルな立憲主義者がおり、グローバルなアクターによって樹立される世界規模の憲法と一般政策について声高に主張している。トイブナーはまた、国民国家の外部には立憲性の虚空が存在するという、多くの既存の憲法理論家によってなされた主張――憲法は国家のなかに/ためにのみ存在する――に反論を試みている。むしろ、彼が主張するのは、認識可能な立憲性の規範は、トランスナショナルな諸レジームのなかに存在し、またそれらは助長されえうる、あるいはされうるべきものである(73-74)。トイブナーは、経済的、芸術的、科学的な空間といったようなものは社会の異なる機能領域であり、そのためのより小さくかつ専門性をともなった断片化した立憲性が、増大する複雑なグローバルで社会的な拡散を理解し、扱うための最善の方法である、と提議している。

過去において、憲法は社会の多様な部門のために存在し続けてきたが、国民国家のなかでは、それらの憲法は無数の諸問題を抱えることになってしまった。トイブナーがそうした事例を用いるのは、近代世界の社会的でトランスナショナルな諸組織にとって、国民国家の憲法制定をめぐる不安定性を示すためである。概して、トイブナーは、一つのシステムとしての政治は、経済のような――そこでは、システムが多大な自律性を必要としている――他の諸システムのために憲法を制定するうえで、あまりにも多くの役目を負うようになってしまった、と考えている。このことは、全体主義的な憲法理論に表れており、そこでは全社会システムが政治の厳密なコントロール下に置かれ、しばしばある特定の国民国家のなかで一つあるいはごくわずかなアクターによる全社会システムのコントロールを許容する。

他の立憲性の極とは、リベラルな伝統であり、トイブナーが記すには、それは広く傍観的な非政治的諸システムを有しており、(であるがゆえに)それらを完全にナショナルな憲法思想の外部に置いたままにした。トイブナーが主張するには、近代世界において、福祉国家の憲法理論は、経済のような他の社会的機能をそのままにしておく一方で、教育のような特定の社会的機能への責務をはたすことで、そうした二つの極のあいだのよりよいバランスを確立した。トイブナーが称えるのは、立憲性の議論に、政治外の諸システムを部分的に包含したことである。とくに、そこで福祉国家は、経済や教育といったような社会の特定部門に着目した立憲性のための枠組みを確立し、多くの場合、それら他の諸システムに対する、政治のいまだ非常に強い介入を行う。

「オルド自由主義」学派思想――政治に対する経済の極端な優越を主張する学派――が主張するには、この問題に取り組むべく、適切な立憲的な枠組みのなかで、経済システムの極度の自律性を主張する。しかしながら、トイブナーによれば、それは他の諸システムが犠牲を払うことになる。トイブナーは、諸国家間およびその外部において、諸組織に関する断片化した立憲的な思考を扱うにあたり、いくつかの重要な手法を欠いたそれらのアプローチをすべて拒絶する。それに代わって、トイブナーが考えるのは、諸国民国家は憲法制定過程から退く必要があり、それをコントロールすることなく、それを奨励する必要があると考えている。

トイブナーは、立憲性の権威、正統性、特定の社会諸システムのために並立した諸立憲性の機能を区分し、立憲的な多元主義の形態が、自律性と(諸立憲性の)枠組みをめぐる事柄に対して与えられる必要性があると考える。立憲性の断片をめぐるトイブナーの理論は、正統化され、政治的に保証され、法的に保障された「団体の諸形態」に自律性を与えることによって解決をみいだそうとしている。この理論において展開される事例として、トイブナーが指摘するのは、歴史的な宗教的自律性と自由な諸組織である。しかしながら、この種の複雑なアレンジメントは、多様な諸社会システムを運営するうえでの十分な権力とリソースがあるような、国民国家の境界の内部でのみ機能するのである。

そのため、トイブナーが投げかけるのは、いかに立憲的多元主義を、国民国家の内部からトランスナショナルなアリーナへと移行させるのかという問いである。ごくわずかな試みだけが、成功にいたった。最初の段階では、UN、WTO、IMF、World Bank、およびその他の多種多様な、確立された内的な立憲構造を有した主要な機関があった。さらに、トイブナーが指摘するのは、非国家的な諸組織のために立憲的な構造を樹立するうえでの主要な困難である。公的なアクターにとって、国民国家はしばしば政治的に投資されるものであり、また立憲化におけるいかなる試みをもおそらく過度に政治化する。こうしたことは、組織に必要とされる自律性から離れており、組織の有効で適切な機能強化とは別の事柄をそこに注ぎ込む。それらのため、立憲的な組織を確立する民間アクターは、多くの民間的な能力の外で許容されうるような、通常のパートナーシップ協定を超えた自信と互恵主義をもって、とても長い期間、ともに活動しなければならない。リスク嫌いの諸企業と諸組織は、他のアクターが手を引いてしまうとバラバラなるような、とくに諸国家の恒常的な法によってではなく、よりいっそうぼんやりとした国際法によって規制された領域における立憲的構造に投資しようとしない。

しばしば理論家たちが立憲化可能な諸主体が存在することが不可能なものとして、トランスナショナルな諸レジームをみる一方で、トイブナーが断言するのは、トランスナショナルな公的諸機構が立憲化をしているだけでなく、ソーシャル・アカウンタビリティー・インターナショナルのような(56)、トランスナショナルな私的機構もまたそれ行っていることである。他の理論家たちが主張するには、幾人かは立憲化が起こっているのをみるところにおいて、実際、諸組織はたんに法化を行っており、真の立憲化のアプローチをとっていない。というのも、諸規則は論争解決と裁定を考慮するにとどまっているからである。トイブナーは、正反対のことを主張する。いわく、それらの機能によって定義された、立憲化の諸レジームに入り込む、地球を横断した社会の断片は、現実のものである。彼は、我々が諸組織を立憲化の過程にあるものとして同定可能な、立憲的規範の質と状態を検討すべく4つの主要基準を続いて展開している。第一に、たんに規定的で対立解決的な諸機能以上に、トランスナショナルなレジームによって生みだされた諸規範が働いているかどうかを検討しなければならない。第二に、組織化された政治的諸プロセスと公論の内発的な諸プロセスに匹敵するような、立憲化の様々なアリーナが可能かどうかを検討しなければならない。第三に、レジームの法的諸規範が、国民国家における憲法上の諸規範間のそれに匹敵するほどに、社会的文脈への十分密接なつながりを発達させているかどうかを検討しなければならない。最後に、諸レジームが諸国民国家に匹敵するような、立憲的な諸構造、とくに憲法的および法的な規則をめぐる至上権を形成しているかどうかを検討し、再考しなければならない。

立憲性の断片――分析

トイブナーは数多くの興味深く、重要なアイデアを提議する。実際、立憲的な問題は、今日では、200年、100年、あるいは50年前に直面した問題とさえも異なり、いっそう複雑化している。彼はトランスナショナルな諸実体とそれらの立憲化をめぐる多くの既存の理解を否定する。トイブナーが法化と立憲化との違いを過度の強調しているようにみえる一方で、それは彼の第一の特質ではない。これに対して、彼が説得的に描出するのは、真の立憲化の見地において可能なトランスナショナルな諸立憲性である。トイブナーが主張し、諸国家が立憲化にあってよりいっそう不干渉なアプローチをとる必要がおそらくあるような、全体という概念は、諸国家が他のことならば何でも好むような世界に対する興味深いカウンターパートである。さもなければ、諸レジームにとって政治化が否定的に作用することがあるように思われる。また、トイブナーが詳しく説明するのは、なぜ諸国民国家内に存在する、数多くの既存の立憲化をめぐる事例が、トランスナショナルなアリーナに容易に転位可能ではないのかということである。

とはいうものの、立憲化の将来についてのトイブナーの見立ては、やや楽観的である。主たる組織、とくに強力な国家によって元来設立された公的組織の脱政治化は、現在の状況ではほとんど不可能である。確かに特定の諸組織は、UNのように設立時の状況から解き放たれることが可能となっている一方で、実際、真なる立憲化を許容するほど十分に強い解放は、その組織の権威からの多様な諸国家の撤退をおそらくは帰結しただろう。結論として、トイブナーはトランスナショナルな政治と立憲化に関する多様な諸アリーナを同定する。諸国家が政治権力をより手放すようになり、民間アクターが立憲化においてより重要になるまでは、トイブナーの洞察と提案は容易に実践することができないであろう。(翻訳:林 三博)