メリディアン180、6月のフォーラムは「法は文化的複雑性の中でいかに希望を保持するのか?-アナリース・ライルズ教授の法と文化の見解への批評」と題し、長谷川晃氏(北海道大学)の座長のもと、アメリカ、ドイツ、中国、そして、日本より法学者が各々の見解を交わす場となった。アナリース・ライルズ氏(コーネル大学)は「[私たちは]法学や政治理論、そして、文化理論といったことばを共有しているにもかかわらず、それぞれがまったく違ったスタート地点からこれらのことばを用いている。しかし、その相違するスタート地点はあまりに無意識に受け入れられ、私たち自身もその違いを意識しないままそれぞれがまったく違った結論を導き出している」と指摘したが、本フォーラムにおける議論は、参加者それぞれがこのことばの共有と相違に伴う難しさを実際に体験する場なった。例えば、フォーラムにおいて法学者である参加者が、文化(culture)や道徳(morality)、価値(values)、技術性(technicality)、そして、法的形式(legal form)といった用語を共有していたとしても、それらの用語がそれぞれの参加者に連想させる意味は、フォーラム参加者それぞれがおかれているそれぞれの学術的環境において上記の用語に伴う意味がいかにして形づくられ、多様な法的応用の余地を生み、そして、それぞれに違った概念的分類を体系化したものを基礎としているのである。それゆえ、本フォーラムを通して共有された用語が、フォーラム参加者の間で横断的な新しい学術的環境を作り出すことを可能にするのと同時に、その用語自体がフォーラムにおける混乱の源泉にもなっていた。しかし、この混乱こそが比較分析における有益な基礎であるといえる。つまり、複数の学術的・文化的領域を跨いだ意見交換に伴う混乱においては、お互いが「明らか」であると想定することに疑問が投げかけられるのである。
長谷川氏はフォーラムのテーマを「法の文化性と価値的方向性」に据え、法実践の規範的側面と「法制度を孤立」させることを回避する際の「実質的議論」の重要性を強調した。長谷川氏は、価値や道徳を含めた文化と法の特質の絡み合いを論ずるとともに、法の形式主義的理解が「文化的複雑性」や法的実践の根底にある多様な規範の正確な理解をいかにぼやけさせてしまうかということを指摘した。長谷川氏は、この観点によりライルズ氏の法の専門的技術性への関心を「法と文化の微妙な関係を明確に理解することには十分に成功してはいえない」と批評するとともに、ライルズ氏の議論においては法の「規範的土台」が反映されるような「一定の実質的価値」が欠落していると指摘した。
長谷川氏の批評に対してラルフ・マイケルズ氏(デューク大学)は、実質的議論がいかに「法制度の自己孤立化(法的概念の天国)を回避するのか」というニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)に即した観点から、長谷川氏の批評と法と文化的複雑性に関する考察に対するコメントを述べた。マイケルズ氏によると長谷川氏が法的議論の形式性に対して持っている疑念に関し、ルーマンは技術性とは「判決・決定に至ること、および、事実の複雑性に基く混同を回避すること」と論じている。ライルズ氏の言う法の専門的技術性は文化的複雑性を否定せず、むしろ、文化的複雑性への返答であるとマイケルズ氏は指摘した。換言すると、長谷川氏とライルズ氏は同じ学術的用語を用いながらも(例:formality-形式的など)、用語をそれぞれに違った用法で使っており、この違いにより2人の議論の論点は別々の方向に向かったのである。マイケルズ氏の指摘とともに於興中氏(香港中文大学・西北政法大学)は、長谷川氏が「法と文化はそれぞれに別々のオープンシステムである」と提言しているとともに、両者が複雑に絡み合っているものであると捕らえていると指摘した。
上記の3者の議論を踏まえ、ライルズ氏は「長谷川氏と同じ分析の基礎を持つものの、分析の出発点と終着点がまったく違うものになっている」と返答した。結果として、より詳細に説明が必要と長谷川氏が感じることが、ライルズ氏にとっては周知の事実となっていることがある。つまり、ライルズ氏は法と文化の関係性への適切な考慮を無視しているのではなく、法と文化の関係性は彼女の法の専門的技術性に関する議論の基礎となっているのである。この、語られることと語られないことの違いは、それぞれの研究者がおかれている学術文化的な文脈の違いに起因している。ライルズ氏は、アメリカの後期モダン的なロースクールに所属する法現実主義者として、「1)法原理と法技術が政治的利益の道具であり、そして、2)法原理と法実践が、社会、政治、文化、規範、そして、経済的な力を形成するとともに、それらの力によって法が構成されているということを私たちは理解している」と論じた。ライルズ氏は、長谷川氏の指摘は彼女が執筆の際に想定した読者が既に広く受け入れているものと想定し、自身の著書の中では割愛していたと述べた。上記を踏まえたうえで、ライルズ氏は、議論の焦点は「法のことについて、現時点で何をより語れるかということ」であると指摘するとともに、その中でもアメリカの法学者が退けてきたもの-法的知識の専門的技術性-を分析することに努めたと返答した。
メリディアン180の6月のフォーラムは、比較分析に伴う難しさを体現するものとなった。用語を共有しながらも、フォーラムの参加者はそれぞれの学術的環境において用語に関する独特の運用方法と解釈を導き出してきた。そのため、本フォーラムの参加者はそれら共有された用語のそれぞれの背景を明らかにしながら入念な対話と説明にともに取り組むことにより、混乱を効果的な共同研究に導いていったといえる。
* 本フォーラムに長谷川氏が寄稿してくださった論文は下記のリンクよりご覧いただけます: http://www.juris.hokudai.ac.jp/~hasegawa/HowCanLawHoldHope.pdf