Cornell University Cornell Law School

フォーラム要約:グローバル・インテレクチュアルの役割とは?

二月 14, 2012 - 4:41pm
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メリディアン180事務局 (Meridian 180 Team)
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ビンセント・イアレンティ (Vincent Ialenti)

 
 
「グローバル・インテレクチュアルの役割とは?(What role for global intellectuals?)」と題した本フォーラムは、メリディアン180のメンバーに「国際化が進む社会において、常に変化している有識者の役割を私たちはどのように考えていくか」というアナリース・ライルズ氏(コーネル大学法科大学院)の問題提起に対して、メンバーそれぞれに返答したものである。ライルズ氏が投げかけた質問は以下の3つである:
 
問1:現在、有識者が取り組むべき最も急を要する課題として、何を思い浮かべるか?
問2:問1で挙げられた課題に対して、それぞれの仕事や業務において、どのように取り組んでいるか(もしくは、取り組もうとしているか)?
問3:問1・2において挙げられた課題に対して、国際的な有識者(global intellectual)が取り交わす対話は、どのように寄与することができるのか?
 
以下がメンバーから寄せられたコメントである:
 
郭 書琴氏(台湾国立成功大学)                                                                     
郭氏は、現在のような流動性がある時代において、有識者は世界各国を行き来きすることだけでなく、大学や政府、シンクタンク、そして、メディアなどにおける自身の可動性の必要性を認識する必要がある、と指摘する。そこでまず大事なのは、物事を省みながら「冷静でいること」に努めることであり、物事に対するこのような姿勢は、有識者が「特権的な位置」から物事を見ることが出来る位置を保つためには不可欠である。郭氏は「可視性(transparency)」の概念に関わる様々な自身の体験を事例として用いながら、「国際交流経験を持った有識者」として行政から役職を依頼された際の自身の対応のあり方を論じた。また、様々な分野や産業、そして、学術文化における専門家と交流を持つことにより、より幅が広く総合的な知識を保ち、そして、それぞれの分野の限界や強みを発見していくことが出来る、と郭氏は締めくくっている。
 
ライアン・セイヤー氏(イェール大学)
セイヤー氏は、社会理論家の大半が持っている「問題志向」的な視点において「差し迫っている問題」にばかり焦点をあてようとする「極度な意欲」が有識者の間ではびこっていることが問題なのではないか、と指摘している。他のメンバーのコメントと自身が取り組んでいる日本における震災への備えに関する民族誌的研究を織り交ぜながら、セイヤー氏は現代思想や研究が有する縛りや取り組みを省みながら、メリディアン180が「新しい調査と理解のための下地作り」となるための可能性についての自身の考えを提示している。
 
於 興中氏(コーネル大学/元香港中文大学)
於氏は、グローバルな有識者は自文化の理解のみで即満足することはなく、世界における他の地域の文化の経験を有し、そして、それを理解していることが必要であり、そして、国際開発から宗教信仰を含めた「グローバル」な問題に取り組んでいることや、独特な「グローバル」な視点から国境を越えた新しい課題(健康問題や核燃料処理問題など)に取り組むことが必要である、と論じている。上記の論点を「正心、修身、斉家、治国、平天下」といった四書五経の「礼記」と「大学」における議論と織り交ぜながら、於氏は現代におけるグローバル社会において回顧主義的な「伝統」的な理想の妥当性に関する考察を提示している。於氏は、国家政策や実用的な目標のために知識を用いることが増えている世の中において、「純粋に知識を追求している有識者」や「純粋な精神や独立した思想、そして、偉大な智慧」を持った世界のために貢献しようとしている有識者が、時代錯誤している人である、と受け止められるリスクを負っていることを懸念している。
 
ガッサン・ハージ氏(メルボルン大学)
ハージ氏は、「批判的思考(critical thinking)」と「再帰性(reflexivity)」という学術的価値の影響力を「私たちの外部にありながら、私たち自身を因果的に、そして、継続的に形成している力である」と論じている。ハージ氏によると、批判人類学は、「私たちが何であれ、また、誰であれ、そして、個人として、また、社会として、この世界におけるいろいろな状況下において、普段私たちがとるような行動とまったく違った行動をとることを可能にする、… つまり、批判人類学においては、私達は自分自身とはまったく違った者になることができ」、そして、「私たちの中にある他者という空間を見つける助けになってくれる」と論じている。
 
アマンダ・スネリンジャー氏(シアトル大学)
スネリンジャー氏は、セイヤー氏が指摘したような有識者に蔓延している「問題志向」(例:アメリカにおける連邦債務の上限引き上げ危機に起因する議論など)への批判や、この問題が社会的弱者に与える影響を論じている。現実世界における問題を「小さな問題」としてはねつけてしまうと「厳しい結果」を引き起こすことになる、とスネリンジャー氏は指摘している。そこで、スネリンジャー氏が提唱するのが学術的コミュニケーションの精神と多様な視点の理解が、敵対的な政治的関係に対する有効な技法を提示すると論じている。国際的な有識者が有する言葉のあやや論理的方法を露呈させる能力は、政治的な影響を受けた情報提供手法に対する免疫を人々に提供できると指摘している。社会における議論のあり方を学術的な理想である「相互理解を目指すためのコミュニケーション」へとかたちづけていくことにより、有識者は「互いが有している問題を、それぞれが個別の危機としてではなく、共有している問題として捉えなおすようにしていく」ことが急務であると論じている。
 
朱 蘇力氏(北京大学)
朱蘇力氏は、「特定の人々を害す」可能性があるために率直な会話を避けようとする政治的な正しさ(political correctness)という新しい姿勢が、グローバルなメディア文化や学術界において形成されていく中でも、有識者は「率直」であることと「責任」を持つ必要がある、と論じている。また、朱氏は、グローバル化の文脈において有識者は「問題を引き起こす可能性がある」情報を提示することを奨励されていると指摘している。学術界における国際的な「高度な専門化」が、学者をより限定された人間関係や、学術界がより大きな影響力を持つような中心となる「知識と実践」の分断に導かれているのである。学者がより限定された責任を担うことが奨励されるような現在の学術文化(学術的「責任」の定義がより難しくなってきている文化)を省み、朱氏は「『グローバルな有識者』になるということは、神になることと同じぐらい簡単なことではない」と悲観的に締めくくっている。