トム・ベイカー氏(ペンシルベニア大学法科大学院)とアナリース・ライルズ氏(コーネル大学法科大学)が座長を務めた本フォーラムは、学際的な集まりであるトービン・プロジェクトのワークショップ参加者が中心となり、アメリカにおける金融政策の将来に対する新しいパラダイムの構築に向けて対話を持つ場となった(トービン・プロジェクトとは金融規制の問題に対して取り組んでいる人類学者や経済学者、心理学者、社会学者、法学者、そして、政府職員などが共同作業に取り組む機関)。ベイカー氏とライルズ氏は、金融改革や市場を理解するための様々な分析手法の強みと限界、そして、多様な方法論がある中においての学際的共同研究の道筋など幅広い質問を投げかけた。例えば「行動的バイアスにつけ込むのではなく、そのようなバイアスを修正するような競争を促進させるような市場は形成されうるのか?何が、監督官庁関係者や立法関係者の意志決定過程の効果性を弱体化・強化させる組織的特性や認識的傾向なのか?詳細な実証的研究は、どのようにして、強力な新古典的経済のパラダイムが有するバイアスに対して代替的な手法を形成していくことが出来るのか?そして、どのような共同作業や政策関与、そして、専門的なリスクテーキングが上記のような難題に取り組む際に最も効果的なのか?」といったような質問が挙げられた。
これらの質問に対して最初にコメントをしたのは、ジェフリー・レクリンスキー氏(コーネル大学法科大学院)であった。レクリンスキー氏は、行動経済学の進歩が如何にして消費者による選択の改善に関わる新しい手法につながっていくということ、そして、新しい手法が組織や市場の新しい形態の刺激していくようなアプローチの可能性につながっていくのかということを論じている。コメント中でレクリンスキー氏は、この問題に従事している監督官庁関係者が直面する最も顕著な障害を提示している。例えば金融商品の供給者は、消費者が持っている規則的なエラーや認識的な弱さにつけ込むことにインセンティブを見つけているのに対し、市場を監督する側は政治的な制約や情報資源の制約に縛られているのである。このような現状は「消費者保護の修正」のためには必ずしも作用することがないような規制規範の形成つながるのである。そのため監督する側にとっては、金融的な決定を下す際には消費者心理をよりよく理解するということが非常に必要となるのである。消費者による選択に伴う心理状態がクレジットカードの「ティーザー金利(teaser rates)」に関してどのように作用しているのか、ということを例にとり、レクリンスキー氏は自身が取り組んでいる証券取引の監督官庁関係者に対する実証的研究の計画の要約とともにコメントを締めくくっている。
レクリンスキー氏による行動経済学の応用性に関する見解を受けて、ドナルド・ランゲボート氏(ジョージタウン大学法律センター)は、香港とオーストラリアで取り組んでいる自身の調査において監督官庁関係者や学術関係者と持った対話のエピソードを交えながら、金融規制に携わる監督官庁には研究者が「全面的に参与することへ抵抗」するような文化的作用があることを指摘している。例としてランゲボート氏が調査に取り組んでいる証券取引審議会(SEC:Securities and Exchange Commission)が法曹関係者を中心に構成されていて、審議会内の若手の経済学者が「審議会における会話の基準を把握しようとする際」に難題に直面したりすることがあるという。
研究者と監督官庁関係者との交流に関するランゲボート氏のコメントに対して、郭靂氏(北京大学法学院)は、2者間の交流が両者間の相互理解を深めるだけでなく、両者が取り組んでいる実務や研究に対して「啓発をもたらしたり、研究やアイディアの新しい運用方法を提示したりする可能性を有している」と指摘している。また郭氏は、アジアにおいてもアメリカにおいても「研究者と監督官庁関係者は常に交流を持っており、・・・、[そのことは]優秀な研究者が行政の監督官や政策立案者、そして、政策顧問などの役職についていることなどに見られる」と論じている。郭氏によると、中国においては法律の訓練を受けている人々が金融規制の主導権を握っているわけではないものの、ランゲボート氏が言及された法律の訓練を受けている人々と受けていない人々の間にある交流の問題は、中国の監督官庁においても同様に存在しているとのことである。郭氏は、有識者が規制・制度を提供する人々の動機や利益衝突に注意を払う必要があること(特に発展途上国における多くの基礎的な法律の曖昧性などに着目すること)、関連する利益は完全に開示する必要があること、そして、外部からの監査(監督官庁関係者の監査も含めて)を継続して注視していくことを提言している。
フォーラム参加者のコメントに共通した官学の連携関係を踏まえ、レベッカ・アドキンス・フレッチャー氏(オハイオ大学南校)は、「グローバリゼーションが、地域社会レベルで生成・再生成される経済過程や文化行為により形成されている」という認識に基づき、比較文化的なアプローチに取り組むことにより、よりしっかりとした理解を得ることが出来ると指摘している。例として不フレッチャー氏は、アメリカのアパラチア地方で取り組まれている鉱業における山頂除去や天然ガスの水圧破砕手法に関する「情報の可視性」や「災害統計」に関する問題と、ライルズ氏が議論されている日本のにおける放射線量に関する同様の問題に関する住民要求に見られる類似性を指摘している。この事例を用いることにより、フレッチャー氏は「地域社会におけるプロセスをより広域的なグローバル的動向に結びつけながら把握していく」ことの重要性を論じているのである。フレッチャー氏は生物科学と人類学の2分野においてトレーニングを受けていることから、学際的交流の重要性を強く認識するとともに、「プロジェクトや研究者に内在している知識のギャップを埋めるような共同作業を可能にする学際的作業に取り組む緊急性がある」と指摘している。そして、総合的・学際的な取り組みは、「実際には類似しているプロセスが、初見ではまったく別のものに見えるようもの」を明らかにするための強力な手段であると締めくくっている。